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できないと言われてからどう動くか|起業家的思考


■届いた一通のメール

今日、高校三年生の卒業真近の女の子から弊社にメールが来た。 数日前から始めたうちのインターン募集の投稿をみて、以下のようなメールを送ってきたのだ。

「先ほど、貴社のインターン説明会のサイトを拝見し、私も参加したい!と強く思いました。しかし、その日は私ともう一人で行っているプロジェクト(長野県のための新しい留学プログラム)のイベントを開催する予定のため参加することが出来ません。どうしても貴社でインターンする事を諦めきれず、この度メールをさせて頂きました。」

そこからさらに自己紹介の長文が続く。

要は、説明会に行きたいけど行けない。だからなんとかならないでしょうか?という「能動的希望」のメールだった。

僕はこういうのありだと思う。

仕事をするとわかるんだけれども、面白おかしい仕事、世間の注目を集めるような仕事をしようとすると、「それはできません。」「前例がありません。」といった言葉が返ってくる。

で、最初の頃は、できないと言われると素直に受け入れてたんだけど、実は社会人生活を重ねていくにつれて、できないと言われてからが勝負だってことがわかってくる。

お客様の飛行機は飛べなくなりました、と言われたら、そこで諦めてはいけない。

飛べないという説明をすることになったスタッフが目の前にいるというだけのこと。飛行機は本当に飛ばないかもしれないし、まだ飛ぶかもしれない。実際、似たような状況から、諦めずに待っていると飛んだということが何度もあった。

本当に飛べなくなったとしても、まだ諦めてはいけない。じゃあ、他の飛行機に乗れないですかと聞いてみた方がいい。航空会社のスタッフが乗れないと答えても諦めてはならない。他のスタッフに聞いてみと乗れるように手配してくれることがある。そんなことがアメリカで何度もあった。違うスタッフもだめだといったらカウンターを変えてみさえする。フランスではカウンターを変えたらうまくいったことがある。

カウンターを変えてもだめだったら、その場で電話やメール、インターネットを駆使してあらゆる方法で、代替手段を考える。

■もうダメだと言われてから

結局、もうダメだと言われてから、何度でもできるという体験を繰り返していくと、できないと言われてからが勝負だということがわかってくる。 新規事業に挑む時、世の中の変えるような新しい挑戦をする時はいつもこんなことが起きる。

女子高生であっても諦めずに挑戦する子がいる。すばらしいではないか。食い下がればなんとかなるんじゃないかという一抹の期待をもって、さらには実際に行動にできているところがすばらしい。

このメールを書くだけでも何分も時間を割いたことだろう。

というわけで、この子には絶対に会ってみたいと思うのであった。もちろん、これだけで即採用、というわけではない。

アクティブラーニング社には、「アクティブさ(=能動性)」と「ラーニングさ(=学ぶ姿勢、謙虚さ)」を持った人にきてほしいと考えている。

前者があっても後者がないのはだめ。初動はいいけど、着地が雑って人もいっぱいいる。実際に、あってみて、可能性を見極めたいと思う。

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